「芳実ちゃん、芳実ちゃん・・・」

斎条遙は階段を登りつつ幼馴染を昔から呼び慣れた名で呼ぶ。ここは三宅芳実の家で、遙は料理をしているので手が離せない芳実の母に芳実を起こすように頼まれたのだ。彼女が大きな声で呼びかけ続けても、芳実が起きる気配は無く、遙は芳実の部屋に辿りついてしまう。

「芳実ちゃん、入るよ」

一応彼女は部屋をノックするが中からは反応が無く、遙はドアを開けて中に足を踏み入れる。綺麗に片付けられている部屋の奥にあるベッドの布団は大きく持ち上がっており、遙がいまだに寝ていることを示しているかのようだ。遙が近づくと案の定、芳実はいまだに夢の中へと深く居るかのように眠っている。

「芳実ちゃん、起きてってば。朝だよ」
「うーん・・・」

遙は芳実を揺するが、軽い唸り声を上げただけで起きる気配はまったく無い。業を煮やした遙は綿布団の端を掴み、渾身の力で一気にめくり上げる。

「ほら、おきな・・・」
「うーん・・・」
「きゃ、きゃー」

遙が芳実の姿を見て悲鳴を上げる。芳実は生まれた姿のまま眠っており、ふくよかで豊かな胸、そこから腰になだらかなラインが続き、その先には・・・。遙の視線はしばしそこにくぎ付けになる。

「うう、もう朝か・・・」
「ちょ、ちょっと何で裸で寝てるの?」

薄く目を開け、だるそうに身を起こす芳実に遙はヒステリックな叫びを浴びせ掛ける。自分をとろんとした目で見る芳実に、遙は視線を慌てて逸らす。

「お風呂で眠くなっちゃって、体をなんとか拭くまではできたんだけど、パジャマまでは着れなくて」
「は、早く着替えて」

ちらちらと芳実を見る遙の顔がどんどん赤くなってくる。

「わかった・・・ふわあぁ」

芳実は大きく息を吸いこんでから、ベッドから裸のまま立ち上がる。恥ずかしそうな遙をまったく意に介さず、そのままクローゼットへと向かう。

三宅芳実は半陰陽だ。女性と男性の器官を持ち合わせている両性具有の体を芳実は持っている。医学的にはもっと専門的な用語があるのだが、芳実は名称を忘れてしまった。整った顔立ちに長髪、女性らしいフォルムを持った体をしているが、げんざい芳実は男を何故か自称して譲らない。

彼は引出しから無造作にパンツを取りだし、すらりとした足に通し、シャツを身に着けようとする。

「芳実ちゃん、ブラはどうするの?」
「あれ、胸が苦しいんだよ。それに男がつけるっていうのも・・・」
「だめ、垂れちゃったら困るでしょ」

嫌そうな顔をする芳実を遙はムッと睨むと、既によく知っているタンスの引出しを開けて適当なブラジャーを見繕う。

「これでいいわね。ほら芳実ちゃん、腕上げて」
「ん、わかった」

あまりいい顔はしないが芳実は遙の言う通りに腕を上げ、されるに任せる。遙は芳実の体を後ろから手を回し、テキパキとブラジャーのカップをあわせ、後ろの留め金を止める。

「うーん、また少し大きくなったみたいだね。今日の帰りにでも買いに行こう」
「えー、女性用下着売り場って苦手なんだけど・・・」
「だめ。プロポーションを保つためなんだから、常に体にあってる物を買わなくちゃ。おばさんにまたお金貰ってね」

あまり乗り気でなさそうな芳実に、遙は大きな声で反論する。そう態度に出られると、もう芳実は何も言えなくなってしまう。

「別にいいけど・・・」
「うん、それじゃ早く着替えないとご飯食べる時間無くなっちゃうよ」

遙は芳実に背を向け、一足先に部屋から出て行こうとする。その背に男物のブレザーとズボンに手をかけた芳実が声を投げかける。

「遙・・・」
「ん、なに?芳実ちゃん」
「今日も起こしに来てくれてありがとう」

あまり表情を変えずに言う芳実だが、付き合いが長い遙には彼が心を込めて言っているのを敏感に感じ取る。

「いいよ、気にしないで。いつも朝ご飯をごちそうになってるんだし」

遙はにっこりと笑顔を残すと、今度こそドアを抜けて階段を降りて行った。

遙の両親は共働きのため、彼女は家族ぐるみの付き合いがある芳実の母に薦められて朝食をご馳走になっている。それは彼女が毎日寝起きの悪い息子を起こしに来ていたからでもある。いつも通りに朝食を済ませると、二人は玄関口から出て行こうとする。すると、芳実の母が見送ろうと台所の出口から出てくる。

「それじゃ、行って来るよ」
「気をつけてね。遙ちゃんの言うことを聞いてちゃんと下着を買うのよ」
「わかったよ」
「遙ちゃんお願いね」
「わかりましたわ、おば様」

二人は門を抜け、普段通っている登校ルートを辿って行く。住宅街は行き交う人々も少なく、のんびりとした歩調で彼らは歩いていく。

「いつまでも子供扱いだな。少しまいっちゃうよ」
「きっと芳実ちゃんの体が心配なんだよ。少しはわかってあげなくちゃ」
「うん、そうだけど」

芳実は言葉とは裏腹にあまり納得の行かない表情だが、遙はそれ以上何も言わない。

「なあ遙、髪をもうそろそろ切りたいんだけど」

芳実が後ろで結わえている長くゆるやかな髪を手に取り、うっとうしそうにもてあそぶ。それに対し、遙は怖い顔で芳実を睨む。

「絶対にダメ。せっかくそんなに綺麗な髪を持ってるんだから、切るなんて許さないから」
「でもさあ」
「ダメッたらダメ」

芳実は急に立ち止まり、遙もいぶかしがりながらそれにつられる。芳実は切れ長の整った目で、怒ったような表情をしている遙の顔をグッと覗きこむ。彼女は一瞬たじろぐが、引いたりはしない。

「遙・・・何で俺、こんな女の格好しなくちゃいけないんだ?俺、男だよ」
「よ、芳実ちゃん」

芳実の綺麗な顔立ちが悲しみに曇るのを見て、遥は目を逸らす。彼女の鼓動が徐々に早鐘を打ち始める。

「そんな、勿体無いよ。芳実ちゃん、こんなに綺麗なのに男の子になっちゃうなんて・・・」
「・・・」

芳実は一瞬とてもやりきれない表情をするが、溜息を一つついて再び歩き出す。その表情に先ほどのような悲哀はまったく見えず、いつもの通り無表情をつらぬいている。遙は慌てて後を急ぎ足で追う。

「よ、芳実ちゃん・・・」
「ほら、学校に遅れるよ」
「わかったから、待ってよ」

二人は五月の薄寒い中をいつもと同じ如く登校して行く。その後はたわいない話をしながら、さして時間はかからずに二人は学校へと辿りついたのだった。

2時間目が終わり中休み、騒がしい教室の比較的前にある席で芳実が机につっぷしてうとうと眠っている。そこへ遙が何かの雑誌を持ちつつ駆け寄ってくる。

「ねえねえ、芳実ちゃん。これ見て、これ」
「ん?」

芳実がトロンとした顔を上げると、遙は比較的大人の女性用ファッション雑誌を開いて彼に見せる。そこにはいろいろとシックなカラーな服の写真がモデルと共に写っている。遙はその内の一つ、紫のスーツを人差し指で指して見せる。

「ねえ、これいいでしょう」
「うん、いいと思うけど遙にはちょっと早過ぎないか。こういう服より、もっと若い子向けの方が・・・」
「なに言ってるの。芳実ちゃんが着るんでしょ」

遙の言葉に、芳実は寝ぼけていた目を一気に見開いて彼女を見る。しかし、遙は本気の表情をしている。

「芳実ちゃんって大人っぽいでしょ。おまけに美人だから似合うと思うのよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ遙。俺はそんなのを着る気はまったく・・・」
「ダメ?」

遙が指を組んで膝を床につけ、お得意の潤んだ目で芳実を見つめる。彼女は幼馴染がこのポーズに弱いのを充分に承知してやっている。

「だ、ダメだったらダメ。そんな顔しても無駄だよ」
「えー、絶対に似合うのに」

遙は残念そうな表情をするが、芳実はそっぽを向いてしまう。

「とにかくどんなに頼まれても、着ないものは着ない」
「もう、頑固なんだから」

遙には未練が大きく残るが、芳実の考えはテコでも動かなさそうだ。

「しょうがないか・・・。あ、そうそう、お昼休みはいつも通りに一緒に食べようよ」
「ん?いいよ」

こちらの提案にはあっさりと芳実はうなずく。二人はこうして一緒に昼食を食べるのを中学の頃から続けている。異性同士だが、芳実の外見では何ら違和感が無い。そうして二人が約束を交わした直後、休みの終わりを告げる鐘が鳴り響く。

「あ、チャイム鳴っちゃった。それじゃ、また後でね」
「ああ、じゃあね」

遙は手を軽く振って笑顔を残すと急いで自分の席へと向かう。その背を見送ると、芳実は机の中から次の授業で使う教科書を取り出した。

そして昼休み、中休みに食い尽くした者以外の多くはカバンから弁当を取り出し始める。芳実もカバンから弁当を取り出していると、ビニールの袋をぶら下げて遙が約束通りやってくる。

「ねえねえ、お天気がいいから屋上で食べようよ」
「まだ少し寒いと思うけど、俺は構わないよ」
「うん、それじゃ行こう」

二人は連れ立って、廊下を抜けて校舎の一番上へと階段を上っていく。遙はニコニコとして楽しそうで、対照的に芳実はあくまでクールな雰囲気をまとっている。彼の場合、別に機嫌が悪いわけでは無く、これが普通なのだ。屋上への扉を開けると、雲が浮かぶ青い空が一面に広がっている。二人は少し寒いために人がいない屋上の、安物らしいプラスチックのベンチへと並んで腰掛ける。芳実は弁当を開いて昨日の晩に食べたおかずだと確認し、遙はコンビニの袋からパンを取り出す。

「またパン食なのか?」
「しょうがないよ。自分のためにお弁当作るのって、面倒くさいんだもん」
「そうだよな。じゃ、また半分交換しようぜ」
「ありがとう。だから芳実ちゃんって好き」

二人は互いに自分の好きそうな物を弁当やパンから選んでつまむ。遙は非常に嬉しそうな表情を隠しもしない。ちなみに、箸を双方とも使っているがぜんぜん気にかけていないみたいだ。

「芳実のお母さんって本当に料理が上手だね。いつ食べてもそう思うよ」
「そうかもな。昔は料理学校に行ってた時期もあるみたいだし」
「あー、幸せ」

二人は取り留めの無い会話をしながら、食べ物を全て平らげる。その後も動こうとせず、お喋りを続ける。喋るのはもっぱら遙で、芳実は聞き役に徹している。

「今日は芳実ちゃんとお買い物なんだよね。楽しみだな」
「そうか・・・。俺は正直言って苦手だな」
「芳実ちゃんって地味な下着がばっかり買うんだもん。今日こそはかわいいの買ってあげるからね」

目を輝かせる遙とは反対に芳実の目は徐々に曇りを帯び始める。

「遙、いつも言ってるだろう、俺は男だ」
「ええ、そんなに美人なのにもったいないよ。もっとおしゃれすれば素敵になるよ」
「別に自分の容姿についてはどうでもいいんだが、女装させるのはやめてくれ」

別に声を荒げたりはしないが、遠く広がる町並みを見つめる芳実の目は厳しくなってきている。だが、それに幼馴染はまったく気づかない。

「芳実ちゃんってボーイッシュな格好が好きなんだよね。でも、それよりは他の服が絶対に似合うって」
「似合うとか、似合わないとかの問題じゃないよ。遙はなんでそんなに俺に女装させようとするんだ?俺のことどう思ってるんだよ」
「え・・それは・・・」

急に声を荒げる芳実に遙は戸惑いを見せる。そんな彼女を逃がさないかのように、芳実はじっと真剣な眼差しで困惑する遙を見つめる。

「あ、憧れかな・・・。自分でもそんな綺麗な顔と素敵なプロポーションが欲しいと思うの。でも芳実ちゃんったら・・・」
「俺はこんな曖昧な体は欲しくなかった。はっきりと男だと分かる体が欲しかった」

遙の少し震える声を遮って、きっぱりと芳実は言う。その言葉には多分に苛立ちが混ざってる。

「よ、芳実ちゃん、どうしたの?今日は少し変だよ・・・」
「・・・何でも無いよ。遙がそういう風に俺を見てたって知らなかっただけだ」
「ねえ、わたし何か悪いこと言った。ねえってば」

遙は泣きそうな表情で芳実を揺するが、彼は無表情を貫いて答えようとはしない。

「答えてよ。そんなに私がすること嫌?」
「いや、もういいよ。忘れてくれ」
「・・・」
「次の時間は体育だから、そろそろ行かないと・・・」

芳実は空になっている弁当に蓋をして、ベンチからさっと立つが、遙はショックが大きいのか動こうとしない。そんな友人を見て、芳実はやるせないような顔をする。

「ほら、行こう。俺はもう気にしてないから」
「う、うん。ごめんね」

芳実は遙の手を取って椅子からそっと立ち上がらせ、階段へと寄り添いながら歩き始める。教室に辿りつくまで二人は気まずい雰囲気で、終始無言であった。

放課後になると遙も持ちなおしたらしく、約束通り芳実を誘ってスーパーマーケットへとやって来た。その途中の道のりでは遙は明るく、先程のわだかまりは二人の間にはまったく無かった。エスカレーターを使って一面が淡いピンク色に見える下着売り場に来ると、遙は早速物色し始める。芳実は恥ずかしいのか、いつもはクールな顔がほんのり赤い。

「これなんか、どうかな?かわいいし」
「ひらひらのレースがついてるのちょっと・・・。もっと地味なのが・・・」
「何言ってるの。芳実ちゃんは服の趣味が地味なんだから、せめて見えない所ではオシャレしなくちゃ」

遙は値段に折り合いをつけつつ、かわいい下着を厳選していく。芳実がいくつか手に取っている間に、彼女は下着をすっかり選んで幼馴染に手渡す。

「はい、試着して来よう」
「うー、恥ずかしいんだけど・・・」
「ほら、誰も気にしてないから大丈夫。さっ、テキパキと行こう」

遙は芳実を試着室に無理やり引っ張って押しこめる。仕方無しに芳実は上着を脱いで、ブラジャーを順番に試着して確かめていく。

「どんな感じ、芳実ちゃん?」

遙はピンクの厚いカーテンから中を覗きこみ、芳実にちゃんと下着があっているかどうか確認する。

「サイズは合ってるけど、このヒラヒラとレースがやっぱり気になる」
「気にしないの。それじゃ、全部レジに持って行こう」
「え、全部?」
「だってそうでしょ。毎日身につける物なんだから、たくさん用意しとかないと」

遙は芳実から何着もあるブラジャーを取り上げると、カーテンを再び閉める。

「それじゃ、着替えたら出てきてね」
「わかった」

ふと、展示されている商品を見て遙の頭に一つの考えが浮かぶ。彼女は布越しに芳実に声をかける。

「ねえ、せっかくだからパンツも買わない?」
「じょ、冗談じゃ無いよ」
「もったいないなー。ブラジャーと合わせて黒とかも似合いそうなのに」
「絶対に着ない」

遙の提案を芳実は真っ赤になりながら上ずった声で拒絶する。しばらくして試着室から出た芳実は自分でレジに行こうとせず、遙に現金を渡して代わりに行かせる。遙は簡単にそれを引きうけ、二人は下着売り場の入り口で再びおちあう。

「お待たせ。でもそんなにレジに持っていくのが嫌だった?」
「当たり前だろ。それじゃ、帰ろうぜ」

二人はスーパーのビルから出て、家の方角へと向かう。見なれた住宅地のアスファルトの道路を喋りつつ二人は歩いていく。外は爽やかな風が吹き、とても気持ちがいい。直に二人は芳実の家へと辿りつく。

「今日もゆっくりしていくんだろ」
「そうだね、自分の家に帰っても誰もいないし。それじゃ、お邪魔しようかな」

芳実は門を開け遙を招き入れる。彼女は特に用がない限り、お菓子を食べたりテレビを見て芳実の家で夕方まで過ごすのが通例であった。

「ただいま」
「お邪魔します」

二人は大きな声を出すが、誰からも返事は無い。芳実の母がいれば、彼女は台所から出てくるはずである。

「買い物かな?まあ、あがりなよ」
「ん、ありがとう」

二人は靴を脱ぎ、ダイニングへと向かう。遙がテーブルについてる間に芳実は台所に食べ物を物色しに行く。

「せんべえしかないみたいだけど、いい?」
「うん、構わないよ」

芳実は木の皿にせんべえの袋を盛りつけ、テーブルへと運んで椅子に腰を落ち着ける。

「ねえ、芳実ちゃん」
「ん?なに」
「さっき買ったブラを身につけてみて」

遙の言葉に芳実のせんベえの袋を開けようとする手が止まる。

「そんなの嫌だよ」
「何で?今日の朝だってブラジャーつけてあげたじゃない」
「とにかく嫌なものは嫌だよ」

にべもない芳実の言葉に、とつぜん遙が歯を強く噛み締めた顔で、テーブルを強く叩く。その勢いにせんべえが皿の上で踊る。

「どうして・・・どうして嫌なの?私のやることってそんなに迷惑?」
「だ、誰もそんなことは言ってないだろう」
「だって、だって・・・芳実ちゃんすごく嫌そうなんだもん・・・」

遙の瞳が潤んで、すぐにぽろぽろと大粒の涙を流し始める。彼女は水滴が落ちて染みが出来ていく制服のスカートの裾を、自分の感情に耐えるためにぐっと握り締める。そうやって遙は嗚咽を漏らさないように懸命に抵抗する。芳実は困ったような顔をして動かずにいたが、やがてテーブルに手をついて立ち上がり、泣いている遙の後ろへとそっと回る。

「遙・・・」

彼は遙の胸へと手を回し、彼女を背後から柔らかく抱き締める。それに対し遙の息がハッとしたように止まる。

「ごめん。傷つけるつもりは無かったんだ・・・」
「芳実ちゃん・・・」

芳実は体を前に倒し、緩やかに遙の髪へと顔をうずめる。よく手入れされた髪からは淡いシャンプーの心地よい香りが感じられる。

「遙、むかし初めて会ったときは俺はまだスカートを履いてたよな」
「うん。今でも覚えてるよ」

遙は随分むかし、芳実と会った時を思い返す。西洋人形のように整った顔立ちの女の子に、遙はほれぼれとしたのだ。

「この変な体をからかわれてよく泣いてたよな」
「うん。でも芳実ちゃんは変な体なんかじゃ無いよ」
「俺が泣いている時、そう言ってよく慰めてくれたよな」

遙は泣いている芳実を幼いながらも精一杯なぐさめ、仲間外れにされている彼女と遊んであげたのだ。そのことは彼女は今でも誇りに思っている。

「俺、すごく嬉しかった。相手はかわいい女の子で、俺の事をちゃんと人として扱ってくれてるって」
「そんな・・・」
「好きになっちゃったんだよ。将来、絶対にお嫁さんにするんだって決めたんだ。だから男になろうと思ったんだよ」

遙が芳実の言葉を聞いて必死に出すまいとしていた嗚咽を漏らし泣き始める。その頬に幾筋もの涙が透明な筋をつけていく。彼女の手が芳実の細くて白い腕に、そっと置かれる。

「ごめん、芳実ちゃんの気持ちに気づかないで・・・。ずっと、傷つけていたんだね。・・・ごめんなさい」
「いいんだ。昔と変わらずに俺を心配してくれる事がうれしいんだよ」
「芳実ちゃん・・・」

遙は木の椅子から立ち上がり、自分より背の高い芳実の秀麗な顔を見上げる。豊かな水をたたえた遙の瞳と、柔らかで温かい芳実の瞳が見詰め合う。

「ごめんね」
「いいんだよ」

細い繊細な声で二人は相手を許しあう。今度は遙が芳実の肩から背後へと手を回し、頭をゆっくりと引き寄せる。

「いいの?俺は遙にとっては女としか見られてるんじゃないの」
「ううん。私は今の芳実ちゃんが好きなの」

両者はそっと目を閉じる。恋人達の口が惹きつけられ、引き寄せられ、二人のシルエットが一つへと合わせられる。お互いの優しさを伝え合うかのように、人肌は相手の唇に体温を伝え合う。それは短かったのかもしれない、長かったのかもしれない、二人は初めての口付けを終え、名残惜しそうにそっと離れる。

「芳実ちゃん・・・好きだよ」
「遙・・・うれしいよ」

遙の手が芳実に伸び、愛しく、憧れる綺麗な体をそっと触っていく。芳実はそれを受け入れ、二人は恋人になるための儀式を静かに始めるのだった・・・。

「ふー」

芳実が脱衣所で裸で塗れた頭を大き目のバスタオルでワシワシと拭く。その髪はとても美しい艶を出しているのだが、彼は傷つく事を心配せず、強めに拭いて水を取り除こうとする。芳実がそうしていると、脱衣所のドアが開き、彼の母がとつぜん中へと入ってくる。

「あれ、もうお風呂に入ってるの?」
「か、母さん」

母の姿を見た途端に芳実は普段見せない、慌てた表情へと変わる。そんな息子を母は不審そうに見つめる。

「どうしたの?何かあったの」
「ちょ、ちょっととにかく出ていって、別に何でも無いから」
「待ちなさいよ。ティッシュペーパーを取りに来たんだから」

後ろを向かせ、心配そうな母を芳実は押し出そうとする。そしてもう少しで出て行くというところで、突然風呂場の引き戸が開けられる。

「芳実ちゃん、バスタオルかし・・・」

風呂場から出てきた遙が、芳実の母を見て言葉の途中で絶句してしまう。芳実の母も目を丸くして、咄嗟に言葉が出てこない。片手で顔を抑え、天を仰ぎ見た芳実は長かった一日がまだ終わらないということを知った。