「恵美お姉ちゃん・・・」
「有香ちゃん・・・」

二人の少女はお互いの体を優しく抱き締め、ついばむように口付けを繰り返す。二人は恵美の自室にあるベッドの上に膝を崩して座っている。今日は有香は恵美の家に泊まりに来させてもらっている。恵美は年上なので有香をリードし、彼女はそれに身を委ねている。恵美はそっと有香の透き通るような美しい髪や、まだ小さい肩を愛情を伝えるかのように撫でてあげる。

「はあ・・・」
「うふふ・・・」

二人はゆっくりと唇を離すと、お互いの瞳に自分の姿を見出す。恵美は微笑みながら、夢見心地の有香をそっと胸元に引き寄せ、頭を抱えてあげる。有香は体を彼女に預けながら、目を緩やかに閉じる。二人は互いの温もりを感じて、とても幸せそうな顔をする。

二人の仲は動物園に行った数日前から急速に接近していた。恵美が有香の好きだという気持ちを受け入れることを決め、覚悟を決めたからだ。甘えてくる有香をその度に抱き締めてあげ、彼女も有香のことを好きだと何度も囁いてあげた。愛し合う二人は互いの気持ちを充分過ぎるほど理解し、愛情を深めていった。

「有香ちゃん、そろそろお風呂入ろうか?」
「うん。一緒でいいよね」
「もちろん」

甘える子猫のように見上げる有香に、恵美はにっこりと微笑んであげる。すると、有香は嬉しそうにもう一度ギュッと抱きつく。彼女は幸せの真っ只中にいた。

有香は物心ついた時から一人ぼっちだった。両親は託児所に彼女を預けていて、有香は仕方なく託児所に置いてあるおもちゃで一人で遊ぶしかなかった。他の子と遊ぼうともしたのだが、どの子も自分勝手で有香の積み上げた積み木を崩したり、ぬいぐるみを奪ったりした。保母さんはおしっこを漏らしたり、両親を求めて泣く子供の世話に忙しかった。だから、彼女は一人で遊んだ。徐々に周りの人間を細かに観察して、冷めた視線が出来ていった。

もちろん両親にも休日はあり、家にいる日もあった。しかし不幸なことにこの時期、両親は仕事が一番忙しく、出張などで飛び回らなければならなかった。家にいても家事に追われてしまう。手間のかからない有香に両親は感謝し、結果的に放置することになってしまった。有香がたまにわがままを言ったり、失敗をした時だけ思い出したように彼女を叱ったりした。有香はその度に学習し、聡明な頭と無機質な心を手に入れた。両親をただ単に鬱陶しい存在と認識した。

有香の面倒をどちらが見るかで両親は何度か喧嘩したりしたが、有香はあまり気にしなかった。自分のことを全然かまってくれない人間など興味は無く、大声で怒鳴り合う両親の横で絵をクレヨンを使って書いていた。

まだ幼い頃の有香はあまり恵美について記憶が無い。両親は親戚に会いに行く時間など無く、彼女は何度か正月などに親戚が集まった時に恵美を見ただけだ。彼女にとって関係など無かった。

彼女が幼稚園に上がろうと言う時に、ようやく両親は仕事に一息つくことができた。二人は子供にあまり構ってやれなかったことに罪悪感を感じ、有香と接する事に決めた。すると彼女が大人しいだけでなく、非常に頭が良い事に気付いた。両親はこれを娘の才能だと思い、話し合った結果、彼女を小学校受験させる事に決めた。有香は両親の優しく熱意のこもった説得を、めんどくさいので首を縦に振った。

お受験用の幼稚園は下らなかったと有香は記憶している。周りの子供は保母の出した課題を解き、誉めてもらって嬉しそうにしていた。彼女にとって出される課題は簡単過ぎて、面白くも何とも無かった。もちろん誉められても嬉しくなかった。直に問題を解く事自体も面倒くさくなり、やる気が失せた。

有香の成績が芳しく無いことを危惧した両親は、家庭教師を雇おうと考え始めた。だが専門の教師はかなり高い授業料であったため、まずは知り合いから探すことにしたのだ。そして、恵美に白羽の矢が立った。

有香が緑色の浴槽に入ってぼんやり回想していると、恵美が曇りガラスのはまった戸を開けて後から入ってきた。彼女は脱いだ物を洗濯機に放りこんでいたのだ。恵美は風呂桶に湯を汲むと、バスマットに膝をついて自分の体に浴びせ掛ける。

「わあ、恵美お姉ちゃんって私のママよりおっぱいが大きいんだね」
「そう? 叔母さんはけっこう大きいと思ってたんだけど」

有香の感嘆した声に恵美は首を傾げる。彼女は立ちあがると浴槽に入り、有香の後ろから体を抱え込む。

「どうしたら、大きくなるのかな?」
「うーん、難しい質問ね・・・。たくさん食べて、お外で遊んで、良く寝ること」
「あはは、わかりましたー」

有香は恵美の温かな腕に抱えられて、再びうっとりと目を閉じる。やがて彼女は体をくるりと反転させ、柔らかな感触がする恵美の体に抱きつく形をとる。

「甘えん坊さんなんだから・・・」
「えへへ、ごめんなさい」
「もう、有香ちゃんったら」

恵美は有香の髪や首をゆっくりと濡れた手で撫でてあげる。有香は思い人の首に顔をうずめ、それを気持ち良く受け入れる。彼女にとっては至福の一時だ。

「よし、のぼせる前に体を洗おうか」
「うん。お姉ちゃんの体、洗ってあげる」
「じゃあ、洗いっこしよう」

有香はこの年頃の少女らしく勢い良くバスタブから立ちあがり、外に出る。恵美も彼女に続いて、湯から出た。

有香は恵美が家庭教師に来た当初、彼女には興味は全然無かった。むしろ、うるさいのが来たと思ったほどだ。彼女は絵を書く邪魔をされたくなかった。恵美を邪険に扱い、無視し続けた。それでも一週間、毎日従姉妹は通ってきた。

「kiss in the dark・・・」

突然の歌声に有香は意識を吸い寄せられた。テープでもCDでもなく、自分一人に向けられた歌声。伴奏も音楽も何も無かったが、一生懸命ということが感じられる歌い方。それは有香が生まれて初めて、自分を真剣に構ってもらったと感じたことだった。恵美は様々な歌を必死に歌ってくれた。

「今までずっと黙っていてごめんなさい・・・」

有香は自分を人として見てくれた初めての人に、心の底から謝った。

有香は恵美の指導に全力でぶつかって行った。自分をちゃんと見てくれる、存在を認識してくれる人に嫌われたくなかった。恵美は温かみを感じさせる接し方で有香に教えてくれた。有香はどんどん恵美が好きになった。毎日会える事が、とても嬉しかった。勉強の一環としていろんな所に連れて行ってもらい、その度に今まで狭かった世界がぐっと広がっていった。毎日が急に灰色から、鮮明な色使いへと変わったのだ。

相変わらず幼稚園は面白みも無く、他の園児達とも交わろうとしなかったが指導はちゃんと受けることにした。恵美を少しでも喜ばせたかったのだ。他には何も理由が無かった。何度、時がもっと早く過ぎて恵美が迎えに来ないかと祈ったか有香は分からない。

幸せだったある日、恵美がインフルエンザで寝こんで来れなくなったと母親から聞いた。当初はそれを理解し、彼女の回復を願うだけだった。 だが日が経つにつれ、絶望感を味わうようになってきた。時間が来ても彼女は迎えに来ない、それは有香に永遠とも言える時間の責め苦を負わせた。昔なら耐えられただろう。だが一度、人の温かみを知ってしまったら、もう駄目だった。彼女は四日で半狂乱に陥った。恵美が電話をかけなければ、外に飛び出していたかも知れなかった。

有香はやがて、受験に成功することが出来た。彼女にしてみれば造作も無く、何の感慨も浮かばなかった・・・恵美の笑顔を見るまでは。恵美が喜びで有香をひしっと抱き締めた時、自分は慕ってるお姉ちゃんと何か大きなことをやり遂げたんだと強く感じた。有香はその時になって、ようやく心から喜びが溢れてきた。

そして両親と一緒に恵美と食事に出かけたときは、久々に両親とおしゃべりしても楽しかった。それも大好きな恵美お姉ちゃんのおかげだった。彼女があの台詞を言うまでは・・・。

「これでお姉ちゃんの授業ともお別れだね」

お別れ・・・おわかれ・・・オワカレ? 恵美の言葉が胸を引き裂いた。そんな事になったら、彼女が生きている理由が無くなってしまう。 今の有香には恵美と過ごす時間、一緒にいる空間・・・恵美自身が全てだった。世界を終わらせたくは無かった。

有香は瞬時に明晰な頭脳で計算し終わった。彼女は学校に行かないと言って親に脅しをかけた。両親はせっかく苦労したというのに、そんなことになっては堪らないと条件を呑んだ。両親は恵美の家庭教師の能力を自分ほどでは無いにしろ、買っていることは計算済みだった。有香は恵美が家庭教師に残ってくれる事にほっとした。ただ、何処と無く困った表情の恵美が気になっただけだ。

しかし、今は恵美は自分のことを今まで以上に可愛がってくれている。好きだとまで言ってくれている。これ以上、望む物は何があろうか。恵美がベッドの上で髪にドライヤーをかけてくれているあいだ、有香はうっとりとしてこの幸運に感謝していた。

「はい、もういいわね。それじゃ、もうそろそろ寝ましょうか」
「えー・・・まだ、起きていられるよ」

恵美の言葉に有香は唇を尖らす。それに対し、恵美は彼女の頭に軽くチョップする。

「だーめ。子供は寝る時間なの」
「お姉ちゃんだって子供じゃない」
「だから一緒に寝るわよ。それならいいでしょ」
「うん。恵美お姉ちゃん、それを先に言ってよ」

有香はそう言うや否や、布団に素早く潜り込む。恵美は電気を消すと後に続いて布団に入る。すると有香はすぐに恵美に抱きつき、まだ暗さに慣れていない目で闇を見透かそうとするように彼女の顔を見る。

「この、甘えん坊」
「えへへ・・・」

恵美は笑って有香の背中に手を回し、体を強く抱き寄せる。お互いの心臓の鼓動が薄い寝間着を通して伝わってくる。

「・・・もっと甘えていいからね」
「うん、ありがとう」

恵美がそっと有香の耳元に囁くと、それだけで彼女は胸がいっぱいになってしまう。お返しに彼女は大好きなお姉ちゃんの頬に可愛らしく口付けしてあげる。

「おやすみ」
「おやすみなさい、恵美お姉ちゃん」

恵美は目を閉じると、すぐに規則正しい寝息をたてはじめる。有香はまだ胸がどくどく大きな音を立てていて、すぐに眠れるとは思わなかったがとりあえず目を閉じるだけの事はした。

有香は小学校に入学しても友達を作らなかった。大人しくて、教師の言うことを素直に聞くエリート小学生と自分とは何処と無く違うように感じている。教師も所詮は自分を子供扱いするだけの存在だ。だから学校にいる間は、ずっと凍てつくような視線で周りの人間を見ている。そんな自分でも成績がいいので、何も言われない。

学校から帰ってくると、有香はひたすら勉強に励む。ちょっとでも恵美との家庭教師の時間を勉強以外に注ぎ込みたいのだ。どうせ他にすることも無い。恵美の家庭教師としての能力を両親が疑うようなことはあってはならない。恵美が家庭教師の仕事を終え、帰ってからも寝るまではただひたすら勉強に勤しんでいる。おかげで成績は入学直後から、常にトップに立っている。

日曜も恵美が来てくれないときなどは、両親が何処かに行こうと誘ってくれるが、有香がパパとママはお仕事忙しいから休んでいいよと言うと二人は喜んで好きな場所に行ったり、一日中テレビを見て過ごしたりする。有香はやはり勉強したり、時たま絵を書いたりするだけだった。既に両親には何も期待していない。

恵美といると幸せだ、有香は思う。自分をきちんと見てくれる人は彼女だけなのだ。そして、自分の気持ちにも応えてくれる。彼女といれるなら他に何も望まないし、とても安心できたのだ・・・。

有香は突然、何かに打たれたかのように目が覚めた。自分では軽く目を閉じただけのつもりだったが、体がリラックスして何時の間にか寝てしまっていたようだ。彼女はしばらくぼんやりしていたが、体に妙な違和感を感じてハッと股に手をやる。パジャマがじっとりと温かく濡れている。身につけているパジャマだけではない、シーツまでべちゃべちゃだ。そういえば、風呂から上がった時に恵美がよく眠れるよと言ってコップに牛乳をついで渡してくれたのだった。彼女の好意がかえって仇となったようだ。

そもそも、有香は幼稚園に入る頃にはもういっさいお漏らしなどしなくなっていた。自分のコントロールが上手く行っており、寝る前に飲み物を飲んでも全然平気なはずだった。夜尿の感覚など既に自分の記憶には無い。それだが、今日は愛する人と共に床を共有したためすっかり安心しきってしまったのだ。

ど、どうしよう・・・。有香は思考が混乱する。頭に対処方を思い浮かべようとするが、どれもすやすやと寝ている恵美を起してしまうだろう。だが、恵美お姉ちゃんがこの事に気付いたらどうなるだろうか・・・。頭が最悪の結果をどんどんシミュレートして行く。オモラシシタノ・・・。この事に気付いた恵美の反応を予想して、どんどん考えが加速する。嫌われたくない、嫌われたくない・・・。どうにもならない状況に彼女の心が完全にパニックに陥る。

「えぐ、えぐ・・・」

自分でも気付かないうちに、しゃくりあげるように悲しげな嗚咽を有香は漏らし始める。既に彼女の心は絶望感に溢れている。その声にすぐに恵美が気付いて、目を開ける。

「ど、どうしたの?」

そう尋ねて上半身を起した恵美だったが、すぐに理由がわかった。シーツがしっとり濡れている。

「お漏らししちゃったの?」

その言葉に有香はしゃくりあげながら、コクンとうなずく。恵美は今まで見たことが無い彼女の泣いている姿に、一瞬どうすれば良いのか分からなかったがすぐに答えは導き出された。

「大丈夫よ・・・泣かない、泣かない・・・」
「・・・」

恵美は縮こまって震える有香を抱き締めてあげ、ぽんぽんと背中を優しく叩いてあげる。

「恵美お姉ちゃん・・・服、汚れちゃう・・・」
「着替えれば、平気よ。有香ちゃん、別に大丈夫だから安心して」

聖母のように優しく有香を抱く恵美に、彼女は必死に背に手を回してしがみつく。そしてそれから一時間近く、有香は彼女の胸で泣き続けた。自分を許してくれて、何事も無かったように接してくれた恵美お姉ちゃんが嬉しかったのだ。

翌朝、有香の目が覚めると隣に恵美のいる気配は無かった。既に普段着に着替えた彼女は勉強机に向かい、本を読んでいた。有香が身を起すと、恵美は読んでいた本を閉じ、ベッドの脇に膝をつく。

「おはよう、有香ちゃん」
「おはよう、恵美お姉ちゃん」

あれから二人はシーツを変え、服を着替えて再び眠ったのだ。有香は夢一つ見ることも無く、あれからぐっすりと今まで寝むることができた。二人は軽く唇を朝の挨拶として合わせる。

「この、お寝坊さん」
「え・・・あ、ごめんね」
「別に構わないよ。さて、今日はどうしようか」
「んーとね、私は・・・」

二人は早速、朝食を食べた後のプランを練り始める。仲の良い恋人達の日曜はまだ始まったばかりだ。